2012年8月24日金曜日

今帰仁城跡

 お城尽くしでママも飽きてきたみたい^^;

よい眺め~ 

んーWekipedia
城内からは中国東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがわせる。北山は尚巴志1416年応永23年・永楽14年。1422年(応永29年・永楽20年)説もある)に滅ぼされるが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣された。1609年薩摩藩による琉球侵略の際には、その攻撃の第一目標となった。
現在も石垣などの遺構の整備が進み、今帰仁城跡として1972年昭和47年)5月15日に国の史跡に今帰仁城跡として指定される[1]。門から城の中心部へと向かう階段(戦後に造られたもの)の左右にはカンヒザクラの並木があり、毎年1月末 - 2月始めに開花する。本部町八重岳などと並び、桜の名所として知られている(日本トランスオーシャン航空作成の壁掛けカレンダーの1月は最近数年間この桜景色が写真を飾っている)。城内には志慶真乙樽歌碑や山北今帰仁城監守来歴碑記などの碑もある。

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